老年期の終り

23世紀の半ば、ワープ航法が開発された。これによって、人類は、資源、異星文明、植民地を求め銀河系のあらゆる星に乗り出していった。舞台は、銀河系開発のための中継基地として開拓された星ラグラング。初上陸から5千年、ラグラングはその基地としての役目を終え廃棄されることとなったが、そんなとき、宇宙からワープ航法開発以前の地球のものと思われる宇宙船がラグラングにやってきた。

考察

人類の宇宙開発の最果てといったところか。

舞台は、銀河開発用の基地として植民された惑星ラグラング。そこは、約5000年の歴史を経て、今その「基地」の役目を終えようとしている。そんなところへ、かつてワープ航法の発明以前の地球から飛び立ったロケットがやってきたのだった。そのロケットの出発した頃は、まさに宇宙開発への人類の意欲が最盛期だったといえよう。そのロケットに乗って、コールドスリープを繰り返し、ようやくラグラングへたどり着いたイケダ。彼は、異星間文明の友好のための書状をもっていたことからも、その意気込みの大きさが感じられる。まさに、星を破棄しようとしているラグラングの気風と食い違う。そこが、この物語の興味深いところでもある。かつての人類は、宇宙開発に大きな期待を寄せ、銀河開発に取り組み、異星文明を求めた。銀河は、人間の手によって開発し尽くせるほどの代物ではないが、未知に寄せる希望は大きいものであることは、読者も自然に理解できよう。その頃こそが、人類の「青年期」と呼ぶべき時期だ。

ところが、何事にも始めがあれば、終わりもある。かつて絶滅しなかった生物種は存在しない、つまり、それは人類も例外ではないというのが、このストーリーのキモとなるのか。人類は、絶滅の危機を何度もかいくぐったという。それは、天災、外部からの加害、病気のようなものも、人類に降りかかったということだろう。それを乗り切り、まさに今、老衰の時期に入っている、といえる。

人は、なぜその意欲を失ってしまうのか、この理由は、物語の冒頭でゲヒラがラグラングの資料をまとめているシーン、治安官との会話に少し垣間見ることが出来る。未整理な資料をまとめているゲヒラに対し、治安官は「意味ないじゃありませんか。その資料誰が見るんです?」と問うのだ。

少し考えてみよう。まず、人類が存在する意味とは何なのだろう?とは誰もが感じたことのある疑問だろう。一体、人は何のために開発を続けるのだろう、と考える。人は開発を続け、膨大な量の情報を蓄積し続けている。将来、存在すべき人類の発展のために、日夜努める。永遠にそれを続けていくのだろうか?そんなことを問いただしていくと、何だか、人は無意味なことをしているように感じられてくるのかもしれない。自らの限界を知ったとき、つまり、とうてい人類の手に負えない、未知の希望を失ったそのときは、この物語のような顛末を迎えるのかもしれない。

イケダはそれでも、さらなる未知を求め、コールドスリープの旅に出るという。そして、ラグラングで暮らしたマリモも、その意向についていくという結末。「われわれからずっと前に失われていたものが、ここにあった」。ラグラングの老人ゲヒラは、一言、そうつぶやく。人類は、知的生命体である。未知があれば、それを目指すべき存在であること。そう強く願う作者の願いを、ここに感じ取ることができる。


収録

2000年9月現在

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