心を科学する

心は物理学で解釈可能だろうか?この疑問は、数年前から私を捉えて離さない。物理学というのは、物質、力、エネルギー、それらの構造や関係を、一つの筋の通った理屈で説明しようという試みであろうと思う。およそ世の中の動きは、最終的にこの物理学が“心”を解明する、という向きのようである。つまり、脳という構造物、或いは、それを作る原則である物理法則を徹底的に研究すれば、いずれ“心”も説明できるだろう、と。

ところで、“心”を説明できた、とは、何をもってそういえるのか?心の発生原因が突き止められたら?心のメカニズムが解明されたら?心の導く思想が分かったら?心の操り方?それら全部?物理学は、確かに脳内の物理的メカニズムを説明することはできる。確率統計的に、インプットに対するアウトプットを予測することはできるだろう。また、ペンフィールドよろしく、人の脳をいじくってみて、ここをつつけばこういう反応がある。なるほど、この部分のこういう反応が、心のこういう働きに関係があるらしい、と。こういうことは、いずれはかなりの高精度で予言することはできるようになるだろう。ペンローズ氏などは、心のプロセスなど分からずとも、数式一発でポンと表現できればいいや、というスタンスのように思う(E=mc2みたいに)。果たしてそれで心が分かった、といって良いのか?

要は、どうすれば人間を納得させられるか、ではないだろうか。実際に“心”を持っている人間が、他人に「心とはこういうものだ」と説明されて、「おお、その通り、なっとくなっとく」となるか「あんた、何も分かっちゃいないわね!」となるか。前者を目指せど、いつまでも後者にとどまっているのが現状。女心どころでなく、基本的な“心”さえ私たちはまだよく分かっていない。

例えば、コンピュータが演算処理をする、という現象を考えるとするなら、“コンピュータ”が“脳”、“演算処理”が“心”なのか?私にはこれでも合点いかない。演算処理は、一つの入力に対応した結果が決まっている。規則がある。ところが、心はそうはいかない。全く同じ入力を同じ“脳”に対して行っても、アウトプットは決まっていない。これは、規則と条件がとても複雑に絡んでいるからそうなのだ、と説明するのが複雑系か。しかし、それを究極まで突き詰めて“心”が判然とするか、と考えると、そうでもない直感がする。どうも、分かるのは脳内の物理的構造なり現象であって、それが起こると、なぜ“心”が生まれるのか、これが難問なのである

ところで、なぜ人は物理学を採用しているのか、と考えてみる。とりあえず、“心”という正体不明のものを扱うにつけて、既知の理論体系である物理学を足掛かりにしている、というだけなのかもしれない。実際、ものの道理を説くにあたって、物理学が自然科学のデファクトスタンダードな思考方法だということは大きいと思う。これが、他の思考方法、例えば哲学や宗教のような形而上にとどまっているようなものでは駄目だということだろう。その意味で、物理学の他にないからそうしている、と。

人は科学的に何かを説明されてそれを納得するのは、それが実証可能だからである。科学の名の元に法則化されているものは、100%の確率でその現象を再現することが出来る。つまり、インプットに対応するアウトプットが、ある理屈なり式なりでズバリ予言されていれば、ビンゴ!となるのである。しかし、世の中、そう簡単なものばかりでもない。考えてみれば、このような“完全な再現性”などというものは、数学にはあれど、物理学にはない。あたりまえに認識している単位、例えば30センチの定規が、確実に30センチ丁度であるかなんて実に疑わしい。というか、世界最高の分解能を持つ電子顕微鏡で見ても、幾らかの物理的誤差は伴っているはずだ。

実は、“心”の本質も、そのような(現代の)物理学の隙間に本質をおいているのかもしれない、とも思う。或いは、ひょっとしたら、人間の持てる感覚器で何かを知る、ということに限界があるのかもしれない。いや、これは確実にある。例えば、二次元の世界に暮らす知的生物がいたとして、彼らには物理的に三次元の世界を認識することはできないのか?という問題。多分、二次元(平面)の生物には三次元(立体)を物理的に経験することなどできない。ということで、彼らは彼らの知識を総動員して、何とか三次元の世界を理解しようとする。でも実質性がない(感じることができない)。同様のことが、今の私たちにもいえる。科学全般、所詮限定された人間の認識を言葉にしているだけであり、認識できないものは言葉にさえできない。認識されていても言葉にできない。まさにそれが“心”ではないか。

全く答えが出そうにない。しかし、それでも基本的に私は、“心”を考えることと、物質やエネルギーについて考えることは同等、と考えている。“心”も、結局物質からなる私たち人間という生体の中で起こっている現象である。つまり、そのような現象が、何らかの物理法則によって引き起こされていることには間違いないはずなのだ。“心”が解明されない、ということは、即ち、物質やエネルギーなどについて解明されていない、ということであろうと思う。