時間を考える

時間とは何か?あまりに当たり前すぎる概念だけに、いざ、その言葉自体を説明しようとすると、なかなか苦しい。物理的には「光の速さを基準とした因果律」ということになるのか。結果の前には必ずその原因があるはずだ、というのが大前提。つまり、リンゴがそこに見えるのは、リンゴがそこにあるからだ、ということ。リンゴがないのにそこに見えるはずはない、またリンゴが存在する以前に、そこにリンゴが見えるわけがない。

人間は、過去は記憶しているが、未来は記憶していない。それは人間が経験できるのが過去のことだけに限定されるからである。この物理空間ことを、専門用語では「四次元時空連続体」という。言うまでもなく、三次元とは我々の住む3つの軸を基準に考える立体空間のこと。それに時間軸を加えて四次元。そしてそれらは連続的である。例えば、物体を落下させるとき、最高点にあったものが、いきなり最下点に移っているのではなく、その2点間を等加速度運動しながら移動する過程があった後、最終的な状態に落ち着く、という過程が観察できる。現象は飛び飛びでなく、連続である「ように見える」、というのが実際である。人間の認識は離散的(ディジタル)でなく、連続的(アナログ)なのだ。

仮に、この四次元時空連続体から、一歩外へ出たら(出られるとして)、世界はどのように見えるだろうか?こんな例えがある。二次元(面)の世界に自我を持つ生き物がいたとしたら、彼には、三次元(立体)はどう頑張っても理解できないだろう、と。四次元時空連続体を脱することを理解しようとする我々には、これに似たことがいえるのかもしれない。つまり、人は、永遠にアナログ認識である運命、ということだ。四次元時空連続体の住人である私たちが、なんとかそこ(四次元時空連続体より高次元な世界)を予測するとしたら、時間も空間も全てはもともと単独で存在しており、「今」というこのときも単独である。そして、高次元世界の住人たちから見たら、連続体でしかとらえられない私たちには、時間という流れのなかの一コマでしかないように感じられている、という程度か‥‥。何だかややこしい話だ。

そもそもの時間の概念の基本である「因果律」。原因があって結果があるのであり、その逆はない、という原則。そう認識しているのは、他ならない私たちの「脳ミソ」である。私たちの脳の中の記憶がそういう風に連続しているから、そう感じられる、とも考えられる。

では、ディジタルな記憶装置である、コンピュータのハードディスクを考えてみよう。ハードディスクに情報を書き込むとき、基本的に順番など関係なく無秩序(離散的)にディスクの任意の場所へ記録されていく。しかし、ずっとその状態でほっとくと、整理されない本棚のようなもので、何処にどういう情報があるのか探すときに異常な手間がかかる。物理的には、ヘッドがあっちやこっちに飛び回ることになり、必要な情報の検索に無駄な時間がかかる。それを回避するために、心得のある人は、定期的に「デフラグメンテーション」をかけるだろう。「デフラグメンテーション」とは、密接な関連のあるファイルはなるべく一箇所に固めて、より合理的な配置に並べ替える作業のことである。つまり、ハードディスクでは、その情報の記録される順番は離散的、その並べ替えは任意に行える。

人間の脳ではどうか?簡単にそのプロセスを考えてみよう。ある刺激が五感を通して脳にインプットされる。すると、それに反応するニューロン(神経細胞)のリンクがシナプスによって張られる。これで、記憶の断片ができる。さらに、これが繰り返されることで、記憶の断片と断片がつながって一つの秩序が生まれる。これで、一つの意味のある概念が生成される。つまり、脳は、その事が起こる順番に記憶を生成していっている。つまり、人の脳では、その情報の記録される順番は連続的、その並べ替えはできない。

時間は、もともと人の考え出した偶像である。というより、そもそも、「時間」だけを単独で考えるものではないのだろう。「空間」も含めた「時空」で考えるのである。よく、「空間」では前後左右上下、自由に動けるのに、「時間」に関しては一方向であるのは不公平である、と聞く。そこで、みんなが発想するのが、「時間」も自由になるはずだ、ということ。しかし、空間と時間が一体のものであれば、このような問題は考えなくて良い。つまり、もともと「時間」と「空間」は同様の方向性をもつ基本概念であって、ならば、両者を一緒にして「時空」と考えればスッキリする。ここで、この「時空」の方向は、一直線ではない。いわゆる螺旋構造のようなものを想定して考えている。基本的に、その方向は螺旋の巻く方向で、全体として、ねじを差し込むような感じの動きをもつもの。しかし、それは、どこかで絡んだり、分裂したり、また結合したりすることもあり得る、そのようなものと考えることもできる。

物理的にも「回転」だとか「球」という状態や構造は一番落ち着く、安定した状態である。「時空」も、何らかの幾何学図形に置き換えるなら、おそらくそのような感じの構造になっているのではないかと思う。そして、これが生物におけるDNA(遺伝子)のような構造をもつとすると、さらに美しいとも思う。