ビュフォン †人間は自然の中心に位置する存在であると考え、他の動物が人間の周囲を取り巻く同心円状に配類される、と考えた。 人間の本性の探求 †「比較の途 voie de comparaison」(Euvres philosophiques de Buffon[O.P.], ed. J.Piveteau, Paris, PUF, 1954, p.317l.)が採用される。人間と他の動物を比較することによって、動物の本性ともども人間の本性を明らかにすること、それが博物学的見地からした人間本性研究の方法論である。 ビュフォンの「博物誌」第四巻「動物の博物学」執筆には人間学的動機づけが顕著である。研究は「人間が主題であるにほかならない、かの重要な学問へとわれわれを導くため」(O.P.,317l.)になされるのでなければならない。そしてそのために、実証的な仕方で「人間にしか属さないものを人間と動物とに共通して属しているものから区別する」(O.P.,317r.)ことが重視される。解剖学的所見が比較され(比較解剖学)、そこから人間と動物の共通性、また人間の類としての特殊性そして優越性が引き出される。 ビュフォンは、比較に際して、外形上の相違を重視している。臓器の位置や大きさ、骨格や筋肉組織、感覚器官の形状の類似と相違が重要とする。 有機体的生命 / 動物的生命 †「動物は二種の存在様式を持っている…。第一の状態においては、動物機械のすべてのゼンマイが活動状態にあるが、第二の状態においては、活動状態にあるのは一部分でしかなく、しかも睡眠状態[第一の状態]においても活動状態にあるこの部分は、覚醒状態[第二の状態]においてもまた活動状態にある。それゆえ、この部分は絶対的に必要な部分である、というのも、それなくしては動物はどうやっても存続しえないからである」(O.P.,318l)。 第一の状態を維持しているのが有機体的生命 vie organique の力であり、それを司る主な器官は心臓であり肺であると考えられる。すなわち、有機体的生命ある状態とは、心臓の拍動、呼吸運動が維持されている状態である。それらは睡眠状態にあっても、覚醒状態にあっても同様に維持されている。第二の状態を維持しているのが動物的生命 vie animale の力であり、それを司る主な器官は四肢の運動を支えている筋肉、触覚や嗅覚などの感覚諸器官であると考えられる。それらは覚醒状態にあって特に活動的である。 ビュフォンによれば、有機体的生命ある状態こそが「たとえ純粋に受動的であっても、生ける動物の最初の状態」「生の基礎」であり、それが動物にとって「本質的な存在の様式」であり、また「われわれの存在の出発点」(ibid.)でもある。有機体的生命は「内的運動の諸原理」、つまり心臓や肺の自発的運動を維持している筋肉繊維に内在的な力(収縮力)のみならず、「栄養摂取力」「成長力」などによって維持されている。ビュフォンは、それを植物的生命 vie vegetale とも呼んでいる。 動物は「生気のない物体 corps inanime」からは、一般にそれが固有の力を持って第一の状態と第二の状態の間を行き来する点で区別される。動物は、睡眠/覚醒、静止/運動の両状態を、交互に周期的に持つ。この変化は、動物に固有の力によってなされる。生気のない物体は、何らかの異他的な力によって、外部から作用を受けない限り、一方の状態に留まり続ける。他方、動物にとってどちらか一方の状態に留まり続けることは「生命運動の連続の停止」( = 死)を意味する。 身体 †ビュフォンによれば、身体は「内的部分 partie interieure」と「外的皮膜 enveloppe」によって構成されている。前者は、心臓を中心とした系をなしており、すべての動物構造体の生命体としての存続に関して本質的に重要であり、その構造上の種差は比較的小さい。後者は、脳を中心とした系をなしており、動物的生命を維持する主要な部分であり、その構造上の種差は顕著である。動物と人間は特に異なる。「内的部分」と「外的皮膜」との「合一 union」は「緊密」かつ「相互的」である。 動物の感覚器官と人間の感覚器官の相違に関して、ビュフォンは興味深い指摘をないsている。「人間においては最も優れた感覚は触覚であり最も劣った感覚は嗅覚であるが、動物においては優れているのは嗅覚であり劣っているのは触覚である」(O.P.,325r.)。なおこの論点は、のちにメーヌ・ド・ビランによって継承され、彼において独自の展開をみることになる。 ビュフォンは、感覚主義 sensualisme に対しては一定の留保をしつつも、「欲望」や「運動」は感覚から生じ、それゆえ感覚器官の能力の違いから人間とその他の動物との行動の差異が生じてくることを認めている。この限りでは、ビュフォンは動物的生命と人間的生命との間に一定の連続性を認めているといえる。また、ここに一種の生命の進化論と呼べるようなものもうかがえる。 有機体的生命 → 動物的生命 → 人間的生命 (生命の諸段階・進化) 二重の人間 Homo duplex †ビュフォンは、人間においては精神=霊的実体の実在を認めている。「(略)内的人間は二重である。人間は、その本性において異なり、その作用において反対の二つの原理によって作り上げられている。精神、この霊的な原理、このあらゆる知識の原理は、常にもう一つの動物的にして物質的な原理に対抗している」(O.P.,337r.)。結局でカルト的二元論の立場が堅持されている。 |