ライフスフィア論考
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* ライフスフィア論考 [#i38283c9]
#contents
** 前提 [#b8ff8328]
まずは、
- 自分の認識が必ずしも正しい(正常)であるとは限らない。
- 自分の感覚はもしかしたら狂っているのかもしれない。
という観点を忘れることなきよう。
以下は、ひとつのフィクションである。(今はまだ)
** “考える”の定義 [#p770373d]
《機械》は《考える》ことができるか。
*** 《機械》とは何か。 [#pe5e0f2b]
ある一定のメカニズムとロジックに従って動作するものが《機...
究極的には人間(の脳)も《機械》である。
その材料は無機物でも有機物でも本質的にはかわらないであろ...
ただし、有機物の集合体である脳が表出するものは、
無機物の集合体であるコンピュータなどのそれとは異なるであ...
という当然の予測は立つ(材料の違いによる性質の違い)。
同等ではあるが同質ではない。
** コピー人間 [#wf976e28]
全く同じ材料で全く同じ機構を持つ人間を2人以上つくれるとし...
彼らは同一人物といえるだろうか。
例えば、《私》と同じ材料と《私》と同じ設計図をもって人間...
そのもうひとりの人間は《私》なのだろうか。
認識として、主観からそれを見れば客観的な《私》をみること...
しかし、それは主観でない以上は《他人》。
*** 一卵性双生児 [#lf785744]
一卵性双生児の場合、やはりお互いにそれが《私》即ち《自分...
他人である。
そもそも、《私》という認識そのものが高度なので、
まず《他人》という認識が先行して、その後で《私》を認識し...
ああこの人は《私》とよく似ている《他人》だ、となる。
*** 私の連続性 [#jb8a3917]
さっきの《私》と今の《私》は、同じ《私》なのだろうか。
また、今の《私》と1分後(1秒後)の《私》は、同じ《私》な...
このことから、次の論点を提起できる。
- 私の連続性。
- 切り離すことができない本質。
そもそも、それは実現不可能という言及。
実現不可能とういうのは、どんなに技術が発達しても、
物理的にそれをすることができないということ(理論上もでき...
*** 《私》からの脱却 [#sc4a05bf]
- 《私》が《私》である以上は、《私》以外の何者の主観にも...
- 《私》という檻に入れられた感覚(それが主観)。
では、《私》を離れた完全なる客観などというものは存在する...
多くの場合、モノゴトの当事者ではない第三者の視点、
若しくは、不特定多数の視点全体(その平均値)を《客観》と...
しかし、《私》というのは、どこからどこまでが《私》なのか。
- この肉体に関する限りが私か。
- 私が感覚する限りの私が私か。
- その私を認識している他者(のみた私)を含めて私か。
*** 《私》という認識 [#c7533eed]
《私》という認識は単一の機能に由来するものではなく、
様々な機能が複合した結果として現れた認識ではないか。
- 何かを認識する機能。(第一主観)
- その認識を外から認識する機能。(第二主観=擬似客観)
少なくともこの2段構成が必要。
自我が目覚める、物心をつく、
ということはどういうことかを考えたとき、
自分を何らかの形で表現することが可能になるということと、
そう表現する手段を得るということが必要になる。
自我を表象として捉える、ということ。
第一次主観的な状態のままでは、自我は認識できない。
** アフォーダンス [#i01c05f7]
生物が能動的にそれをしようと動機する対象。そうさせること...
いわゆる意識の志向性。
- 「押しボタン」は、人間に「それは指で押すものだ」と認識...
- 同時に、人間はそれを押すことができる。
- 同時に、人間は目的達成の為にそれを押すという行為をする。
- このことがらを理解するのに説明は不要。
与えられた能力と可能性から、事物の本質を探る方向。
つまり、できないことは存在しない。
可能性のないものは存在しない(自然的な考察)。
人間は生まれたときから、自分の手足の使い方を知っている。
ものを持つアフォーダンス。這う、歩くアフォーダンス。
自然に存在し得る物事を無理なく想定することが、
本質問題を解決する近道になる。
** 実物と想像 [#f0dc2f40]
何か事物を実際に(視覚、聴覚、触覚などによって)感覚した...
想像の中における同じ対象のそれとの違いは何か。
例えば、バラという花。
- バラを見る。
- バラを香る。
- バラに触る。
その感覚は、その経験が1度でもあれば想像可能である
(1度も経験がない場合は、全くの想像になるが)。
同じバラを写真などに撮影する。あるいは、記憶として思い出...
その視覚、嗅覚、触覚の感覚は、同一であるか、別物であるか。
バラの持つ質感、つまりクオリア(Qualia)というアプローチ。
** 同一性 [#h05638cd]
ある記号(文字)、例えばアルファベット「A」。
- その「A」はこの「A」と同じであることを直感で知っている。
- 「B」と書けば、それは「A」ではない。
なぜ同じであるといえるか。なぜ違うといえるか。
「人間」は同じである。「人間」は「人間」である。
抽象としての人間。記号としての人間(イデア)。
実体は同じではないということも了解している。
それは、自分と他人が違う具体であることを直感で知っている...
同様に、異なる他人同士も互いに同じではないことを知る。
どこに同一性をみて、どこに異なるものを見るか。
形。材質。言葉。占有空間。意識。独立性。空気。性質。メソ...
** 曖昧さ [#cb3d6b25]
何かを感覚することは絶対的なことではない。
人はおよそモダリティによる表現をとる。
命題を言い切らず、自分の感覚ではこうである、
おそらく他人も同じようであるだろう、という予測を立てて、
その同意をとろうとする。
感覚は事実として絶対的なものといっても良い。
それを外向きに表現する際に、
その記号化されたものが正しい表記であるかどうかについて不...
** 外界と内界 [#q971c001]
どこまでが内でどこからが外か。
その境界の定義がそもそも曖昧。
自他の区分けの明確な境界線は定義できるかどうか。
全て自であり、同時に他であるという同一性の持込み。
- 拒否反応による区分け。
- 免疫的自己。
- 意思の到達範囲としての自己。
自分の手は自分の意思で動くが、自分でない目の前のグラスは...
もし動くなら、それも自分か。
** 時空における理解 [#i1471227]
何かが存在するということは、
その「何か」は、時間と空間を占有するということ(現時点の...
同じ時間と空間を同時に占有することはできない(排他原理)。
この理屈は、4次元における感覚として直感可能だが、
さらに高次の座標系を想定した場合にどうだろうか。
量子論における不確定性の中では、
同じ時空を異なる素粒子が同時に占有する可能性を許している...
波束の収縮によって排他原理がきいてくる。
** 心の場所 [#y75868f9]
かつて「心」は「胸」の中にあるといわれていたが、
科学の発達によって、その所在は「脳」つまり頭の中、
というのが一般的になっている。
ところで、昔の人は、なぜ心が「胸」にあると思ったのか。
ものを思考する臓器として「脳」がある。
ということは、その主観が感覚するということは、
「脳」がそう認識しているということになる。
眼で見る。耳で聞く。手で触る。
これらの感覚は、眼耳手で感じているのではなく、
その信号を脳がとらえて理解しているのだと。
ないはずの四肢の感覚が残る「幻肢」は、
脳が経験や記憶による感覚を事実であると誤解することによる...
感覚は脳が担っているのは確からしい。
しかし、精神や心の所在も同様かという疑問は、
いまだに完全解明に至らない。
** 同根から違うものが派生するということ [#a1150843]
初期の条件が同じで、過程も同じであれば、結果も同じである。
(ラプラスの悪魔)
これは正しいか。
実際の現象にはカオス的側面があり、
わずかな擾乱によってその結果は大きく異なってくることもあ...
ただし、「似ている」という状態に至ることは大いにある。
完全に同等の初期条件と過程を考えた場合、
結果も完全に同じであろうというのが決定論的立場。
** 動機の根拠 [#c49ff49f]
何かを発動する、起動する、動作するその目的因、
それが同じである場合でも、
実際の動作方法は異なることがある。
つまり、目的に至る方法が複数存在する場合、
そのいずれが選択されるかは任意である。
ただし、自然の傾向としては、
最も合理的、もっとも省エネルギー的な方法が選択されやすい。
ただし、選択者(行為者)がその選択肢を知っている必要があ...
行為者自身が知っている限りの中で最も合理的なものが選択さ...
ということになる。
選択肢を知っているかどうか。
事前に何らかの学習をすることで選択肢を増やすか。
直感によって選択肢を発見するか。
他者によってその選択肢が示されるか。
(その他者にも同様のことがいえる)
うち、直感でそれを発見する、つまり、
アプリオリに知っている選択肢というのは、
最も自然的ではないか。
そしてその選択肢は、個々により異なる(個性があるという本...
** 世界の連続性 [#i26913c1]
私の意識がなくなれば、私における世界はなくなる。
私にとっての世界は、私が認識する限りの世界全体であり、
それ以上ではない。
私の認識していないところにも世界(の部分)はあり、
それは私ではない認識によって理解されている。
ところで、何者にも認識されていない領域は、
存在していないのだろうか。
つまり、認識されて初めて世界は表象するのか。
普遍的に存在する世界であるならば、
それは認識には関係なく永遠にそこに存在し続ける。
(有史以来の宇宙に関する限りであるが)
では、宇宙の始まる前におけるナニガシかは、
どのように定義すべきだろうか。
当然、それを認識する主観は存在しない。
世界は、実は認識によって開拓されているのではないか。
まずイデアのみがそこにある(プラトニックにいって)。
そこに認識が加えられることによって具象化する。
- イデア=クラス
- 具象化=インスタンス化
実行コードにおいて、
実際にそのコードを通るまで定義のみ存在している。
まさにそのコードを通ったときに実体化し、
世界として立ち現れる。
ゲーム世界の表示されていない部分を考える要領。
** チューリングテスト [#p5846eb8]
ある「知性」がそれを「理解」することをテストする。
その「知性」に対して質問し、その回答をみて、
それが知性であると誤解するレベルであれば、
それを「理解」しているといっても良い。
つまり、箱の中に「人」か「機械」が入っている。
その箱に対していくつか質問をする。
その回答をみて、その質問者が、
箱の中身は「人」である、と思うなら、
その箱の中身が「機械」であった場合に、
その機械は質問を「理解」しているといって良い。
理解しているかしていないかは、
その対象物の主観になってみないとわからない。
しかし、それは不可能である。
ゆえに、ここは「みなし」の理解、
擬似的な理解としてとらえるしかない。
私という主観からみれば、人でも機械でも同じ。
** 認識のノード [#s1f2be61]
世界は認識の集合であるという考え方によれば、
私(の認識)という点は、
認識ネットワークのノードの1つであるといえる。
ただし、この場合、
認識のネットワークが行き届いていない領域に関して、
どのように定義すべきかが解決できない。
ネットワークが延びることで世界が現れるか。
世界があるところにネットワークが延びるのか。
少なくとも、ノードが存在する領域に関する限りは、
そこに世界が存在している。
** ゼロの発想 [#a0df5987]
何もない、という思考自体があるので、真のゼロはない。
しかし、論理的なゼロ、概念としてのゼロは存在する。
無いのに存在が定義できる。
ならば、本当は「在る」のではないか。
可能性があるものは、何らかの形で存在するのではないか。
しかし、それにつけても「ゼロ」は、
「無い」という概念なのだから、
「無い」ということが「在る」というのは矛盾。
語句としての命題は真かもしれないが、
事実としては偽であることが許容されている。
そのような理解が存在し得る。
** 抽象と具象の隙間 [#l23d46ae]
何かを論じるとき、論じたれたそれと、実際のそれとは、
厳密な意味(ありよう)において同一ではない。
定義=実在 ではない。
実在は定義を満たすが、定義は実在を完全に表現していない。
関係としては、抽象<具象。
具象はいくつかの(複数の)抽象を規定に持つ。
それらが感覚に上る実体となったときに認識される。
「心」は抽象で、「私の心」は具象。
つまり「私の心」には、
一般的な「心」という抽象以外の属性も含む。
** 時間経過の感覚 [#i2d73882]
「時間が流れる」という感覚を持つが、
それは"感覚的には"主観的なもの。
時間そのものはは実は止まっているのかもしれない(即ち、時...
感覚がある便宜上、時間の経過というものを想定する必要があ...
何かを感じるには、それにかかる時間が付随する。
ものが一定距離を移動するという物理現象を考えたとき、
その起点から終点までの移動過程が必ずある。
これにかかる間隔を理解する上で「時間」という考え方を使う。
絶対的な時間とうものはそもそもないが、
物理座標系として線引きされる時間軸というものはあって、
その意味でいう時間は定性的なものである。
座標上では空間軸と同様の扱いを受けるが、
感覚においては別種のものと捉えられる。
いわゆる空間軸では、ある程度その移動方向が自由である。
しかし時間軸においては、移動方向が一方向である。
(過去から現在、現在から未来。その逆は無い。)
数理上は時間軸の移動も想定可能であるが、
それはあくまで理論上のもの。
感覚的な時間の流れと、この理論的な時間とは、
果たして同種のものであるかという疑問。
** 言葉ではない表現 [#xeebbe62]
- 例えば、音。
- 例えば、光。
- 例えば、触感。
- 例えば、香り。
- 例えば、味覚。
- 例えば、音楽。
- 例えば、絵画。
- 例えば、演劇。
- 例えば、表情。
- 例えば、風景。
** 現実の証 [#c93af9f3]
私たちが現実だと思っている世界。
これが現実だ、と思っているのはなぜか。
どこにその証があるのか(映画『マトリックス』の世界)。
現実も仮想も、どちらも結局私という認識(主観)の中におけ...
現象世界の感覚と理解に過ぎない。
夢を見ているときの認識と、
現実(と思っている)世界を見ているときの認識の違いは何か。
いずれかの世界に身を置いているとき、
互いに相対の世界を仮想と思ってはいないか。
明晰夢においては、それが「夢」であると認識される。
つまり、背後に夢より次元の高い固定された現実の世界がある...
実は、この現実世界よりもさらに現実(超現実)の世界があっ...
この現実世界において明晰夢状態になれば、
その超現実を認識するに至るのではないかという疑い。
さらに実は、昨日と今日は連続しておらず、
一度睡眠によって意識が低レベルに落ちたら、
別の次元の現実へ遷移しているのではないか。
眼が覚めたら、以前の記憶がすっかり新たな現実に最適化され、
さも昨日から連続していたかのように錯覚して生活している。
(…というSFを想定する余地)
とにかく、現実が絶対的世界であることへの疑念があるという...
** 論理空間 [#u815c426]
人類の文明の発達が急加速したのは、
「言葉」の発明とほぼ時を同じくしているという。
つまり、明確な記号化された意味を表す言葉を使用することで、
人類は知識を発見し、保存し、継承することができるようにな...
それによって、人類の知的レベルは飛躍的に上がった。
しかし、このことは同時に、
言葉による表現以上のものを獲得できる可能性も示唆している。
人類(原人)が言葉を使用する以前は、
身振り手振り、鳴き声などで意思疎通をしていたと考えられて...
そこから、言葉という道具を得ただけで、
格段にレベルの違う知性を得られたことに注目する。
ならば、言葉よりもさらに高効率の意思疎通方法があるなら、
それによってさらなる知識発達がありえるのではないか。
人類の知識は「言葉の檻」に制限されている。
** 脳の感覚の有限性 [#c833522b]
言葉にならない感覚も脳は持つことができる。
しかし、世界全てを感覚することはできないだろう。
単純に、言葉にならないものを表現できないだけでなく、
脳が感覚として許容できる事象にも限界があるのではないか。
なにがしかの事象が目の前で起こったとしても、
それを脳が把握できるものでなかった場合は認識できない。
相互作用の強弱、有無の問題もあるが、
解釈や認識が可能かどうかの問題に関する問題提起。
** 必要性 [#qc603785]
脳が何かを感覚するのは、
生物として生存していくために必要な情報のみではないか、
という合理的理解。
それに必要の無い情報はそもそも切り捨てられている。
つまり、感覚されているモノゴトというのは、
全て「必要である」ものだということもできる(この観点から...
** 器官としての脳 [#c3160518]
脳という部分の役割は考える、感覚する、とされるが、
それが脳に所在するということを明確にいうことはできるのか。
反応が活発なのは脳のニューロン発火現象などで明らかだが、
その際にも心臓の鼓動は早くなり、呼吸も忙しくなったり、
つまりモジュール化して考えることの妥当性は、
どこかで決着されているのかどうか、という問題提起。
** 自由意志 [#daea80b3]
すべて初期条件によってその後の成り行きは決定されているの...
それは自由意志にはならないのではないか。
つまり、自由だと思っているそれは、
かつての初期条件とその動向を決定する法則があることを、
行為者が忘れている、あるいは知らない為に、
自由だと勘違いをしているのである。
このような行動をしているのも自由意志ではなく、
全て最初からシナリオにあった事柄。
** 運命 [#j0f9526a]
この病気が治る運命なら、医者にかからずとも治る。
この病気が治らない運命なら、医者にかかっても治らない。
後者の実現可能性は高いが、前者は無理目な感じがする。
「治る運命」には、医者にかかるということまで含まれた運命...
** 光の特殊性 [#raff3720]
光、光子、光量子は物理学の世界では特殊な扱いを受ける。
質量 0。光の速度を超えることはできない(相対性理論)。
しかし、光というのは、
いわば人が勝手にそう定義したものではないか。
** 「今」への疑念 [#u0c438bc]
「今」感覚していると思っているそれは「今」のものなのか。
「今」の定義としては、感覚された瞬間そのときをいうという...
感覚された瞬間が、過去でもなく未来でもない保証はあるか。
厳密に言えば、わずかに過去の事象となる、
という回答が一般的。
** マッハの原理 [#a20c5c47]
物体の慣性力は、全宇宙に存在する他の物質との相互作用によ...
時空において、あらゆる物理現象は、
そこに存在する物質の量と分布の仕方によって決まるものだと...
*** [[茂木健一郎:http://www.qualia-manifesto.com/index.j....
認識において、あるニューロンの発火が果たす役割は、
そのニューロンと同じ瞬間に発火している他の全てのニューロ...
またそれによってのみ決定される。
氏はこれを「認識におけるマッハの原理」と呼ぶ。
** サブリミナル効果 [#j8f5324a]
時間の命題を考える際、
そこに流れ自体(文脈自体)にほとんど関係のない、
不連続な事象を1コマ(あるいは数コマ)はさんだ場合、
それはほとんど意識には上らないにも関わらず、
実は感覚(認識)しているという状態がある。
それは記憶には残りにくいので、
時間の流れからはずれたものと考えるべきものであるが、
それは即ち、時間の流れからはずれたものは、
記憶に残らないという逆提案であるとも考えられる。
** ファクシミリ論争 [#f4e04a40]
その物体に関するあらゆる全ての情報を、
ある地点から別の地点に完全に転送できるとする。
地点Aにある物体aの情報を地点Bに転送し、
その情報のとおりに物体bとして再構成した場合、
物体aと物体bは同一であるといえるか。
注意すべきは、
物体aを構成していた物質が転送されたのではなく、
物体aの情報が転送され地点Bにおける物質を材料として、
物体bがつくられるという点。
物体aに意識なるものがあった場合、
物体bにも同一の意識が現れるのだろうか。
はやい話、物体aが人間だった場合、
物体aと物体bは同一人物といえるだろうか。
すこし問題を変えて、
転送されるのが物体aを構成していた材料そのもので、
その材料で物体bとして再構成された場合、
事態は変わるだろうか(物体としては同じ)。
** 同時性 [#g0bdbafc]
出来事とそれを感覚するのが同時である、
と暗黙に前提される。
しかし、実際はそうではなく、出来事が光や音やその他何らか...
人の目や耳や手足などの感覚器に情報が伝達するまでに時間が...
さらに感覚器から脳へその信号が到達するまでにまた時間がか...
さらに脳でその信号が情報として処理されるのに時間がかかる、
であるので、出来事は必ず感覚より過去のものであることにな...
しかし、脳で処理されアウトプットされた情報しか
人は認識しないので、それら全てを同時と感覚する。
** 次世代言語 [#c805a092]
世界を言い表すことのできる言語の開発。
+ 自然言語
+ 数学言語(代数学、幾何学)
+ ???
ひとつの提案としての「プログラミング言語」。
プログラミング言語というのは、
まさにモノゴトの動作をロジカルに記述するためのものである。
プログラミング言語は、コンピュータ上においてあらゆる表現...
テキスト、音声、画像など、現実世界に実在するあらゆるもの...
コンピュータ内の論理空間において再現できる。
その言語によって、現象が完全に再現できるならば、
その言語は現象を論じ得た(記述できた)、といえるのではな...
目の前に在るリンゴの存在について、
自然言語で切々と語ってもその全ては伝えきることができない...
そのような3D映像などで描画し完全に再現するプログラムを書...
そのプログラムはリンゴを記述できた、といえないだろうか。
自然言語、数学で表現できない統括的な表現形式としてのプロ...
現存するプログラミング言語はまだ原始的だが、
言語は様々な形を取りながら進化を続けている。
今最も進化が速い言語はプログラミング言語であるといえるの...
(フラットな構文から、オブジェクト指向、アスペクト指向と...
今後さらに開発される言語が期待される。
** 夢 [#fcfb927d]
「夢」をみているときの人の認識は、
完全にその夢の世界の中にいる場合と、
それが夢である(現実ではない)と認識している場合がある。
前者の場合、現実は切り離されているのか。
後者の場合、現実ではないと感じながら夢の世界を「見下ろし...
しかし、あくまで当事者は自分であり、
自分が活動している世界を客観的に同じ自分の視点がら見ている
という奇妙な状態である。
** バーチャル世界 [#te67b7ab]
コンピュータという道具を得た人間は、
コンピュータの中に自分たちのいる「現実世界」に似せた、
いわば「仮想世界」を作り出そうとしている。
人間の主観が、
仮想世界をコントロールする「神」を演じるものになる。
そのような視点を得ることで、
現実世界の上位から観察する方法も得られる可能性があったが、
結局、人は、仮想世界の「神」ではなく「住人」になりつつあ...
最初から客観は幻想であったということか。
** 既成理論は誤っているのか [#g11144c3]
既成の理論が誤っているから、一向に世界の真実に近づくこと...
否。
誤ってはいないが、非常に遠回りしているだけである。
人が発見したりそれについて論述し、
ある程度の整合性、妥当性、再現性が示されるならば、
その論は誤ってはいない。
確かにその事象について正しく語っている。
しかし、それがすぐその他の難問を解く方法論になりえるかと...
そうではないことが多々である。
物体の落下について、ニュートン力学で語ることができる。
天体の運動について、相対性理論で語ることができる。
素粒子の振る舞いについて、量子力学で語ることができる。
いずれも間違っていない。
天動説も、地球を静止点とみなすなら間違いではない。
ただ、それで天体の運動を説明しようとしたときに、
非常に複雑なロジックが必要になるということで、
地動説ならば、よりシンプルに同じことを説明できるというだ...
(オッカムレーザー)。
** ニューラルネットワーク [#g1beaca0]
これは脳内だけの話ではなく、
宇宙全体の《ネットワーク》としてもともと存在する。
つまり、そのような相互作用、相互関係で、
事象は互いに存在を維持しているのであり、
存在するということは、
《ネットワーク》がつながっているということの証である。
ここはむしろ《ネットワーク》ではなく、ある広がりを持つ空...
《スフィア》という言葉を充てる。
線状の結びつきではなく、空間的な(もっと多次元な)接触を...
→ ''ニューラルスフィア''
さらに、ニューロン(神経細胞)というのは、
それを感覚、知覚する経絡に限定的であるので、
そのようなものを包括する生命、《ライフ》という言葉を当て...
→ ''ライフスフィア''
生命は、それ自身を自己言及しても成立するもので、
構造的にフラクタルなものであり、
宇宙から素粒子以下の原初に至るまでの全ての過程と様相全て...
(オートポイエーシス)。
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[[自然科学・哲学系メモ]]
終了行:
* ライフスフィア論考 [#i38283c9]
#contents
** 前提 [#b8ff8328]
まずは、
- 自分の認識が必ずしも正しい(正常)であるとは限らない。
- 自分の感覚はもしかしたら狂っているのかもしれない。
という観点を忘れることなきよう。
以下は、ひとつのフィクションである。(今はまだ)
** “考える”の定義 [#p770373d]
《機械》は《考える》ことができるか。
*** 《機械》とは何か。 [#pe5e0f2b]
ある一定のメカニズムとロジックに従って動作するものが《機...
究極的には人間(の脳)も《機械》である。
その材料は無機物でも有機物でも本質的にはかわらないであろ...
ただし、有機物の集合体である脳が表出するものは、
無機物の集合体であるコンピュータなどのそれとは異なるであ...
という当然の予測は立つ(材料の違いによる性質の違い)。
同等ではあるが同質ではない。
** コピー人間 [#wf976e28]
全く同じ材料で全く同じ機構を持つ人間を2人以上つくれるとし...
彼らは同一人物といえるだろうか。
例えば、《私》と同じ材料と《私》と同じ設計図をもって人間...
そのもうひとりの人間は《私》なのだろうか。
認識として、主観からそれを見れば客観的な《私》をみること...
しかし、それは主観でない以上は《他人》。
*** 一卵性双生児 [#lf785744]
一卵性双生児の場合、やはりお互いにそれが《私》即ち《自分...
他人である。
そもそも、《私》という認識そのものが高度なので、
まず《他人》という認識が先行して、その後で《私》を認識し...
ああこの人は《私》とよく似ている《他人》だ、となる。
*** 私の連続性 [#jb8a3917]
さっきの《私》と今の《私》は、同じ《私》なのだろうか。
また、今の《私》と1分後(1秒後)の《私》は、同じ《私》な...
このことから、次の論点を提起できる。
- 私の連続性。
- 切り離すことができない本質。
そもそも、それは実現不可能という言及。
実現不可能とういうのは、どんなに技術が発達しても、
物理的にそれをすることができないということ(理論上もでき...
*** 《私》からの脱却 [#sc4a05bf]
- 《私》が《私》である以上は、《私》以外の何者の主観にも...
- 《私》という檻に入れられた感覚(それが主観)。
では、《私》を離れた完全なる客観などというものは存在する...
多くの場合、モノゴトの当事者ではない第三者の視点、
若しくは、不特定多数の視点全体(その平均値)を《客観》と...
しかし、《私》というのは、どこからどこまでが《私》なのか。
- この肉体に関する限りが私か。
- 私が感覚する限りの私が私か。
- その私を認識している他者(のみた私)を含めて私か。
*** 《私》という認識 [#c7533eed]
《私》という認識は単一の機能に由来するものではなく、
様々な機能が複合した結果として現れた認識ではないか。
- 何かを認識する機能。(第一主観)
- その認識を外から認識する機能。(第二主観=擬似客観)
少なくともこの2段構成が必要。
自我が目覚める、物心をつく、
ということはどういうことかを考えたとき、
自分を何らかの形で表現することが可能になるということと、
そう表現する手段を得るということが必要になる。
自我を表象として捉える、ということ。
第一次主観的な状態のままでは、自我は認識できない。
** アフォーダンス [#i01c05f7]
生物が能動的にそれをしようと動機する対象。そうさせること...
いわゆる意識の志向性。
- 「押しボタン」は、人間に「それは指で押すものだ」と認識...
- 同時に、人間はそれを押すことができる。
- 同時に、人間は目的達成の為にそれを押すという行為をする。
- このことがらを理解するのに説明は不要。
与えられた能力と可能性から、事物の本質を探る方向。
つまり、できないことは存在しない。
可能性のないものは存在しない(自然的な考察)。
人間は生まれたときから、自分の手足の使い方を知っている。
ものを持つアフォーダンス。這う、歩くアフォーダンス。
自然に存在し得る物事を無理なく想定することが、
本質問題を解決する近道になる。
** 実物と想像 [#f0dc2f40]
何か事物を実際に(視覚、聴覚、触覚などによって)感覚した...
想像の中における同じ対象のそれとの違いは何か。
例えば、バラという花。
- バラを見る。
- バラを香る。
- バラに触る。
その感覚は、その経験が1度でもあれば想像可能である
(1度も経験がない場合は、全くの想像になるが)。
同じバラを写真などに撮影する。あるいは、記憶として思い出...
その視覚、嗅覚、触覚の感覚は、同一であるか、別物であるか。
バラの持つ質感、つまりクオリア(Qualia)というアプローチ。
** 同一性 [#h05638cd]
ある記号(文字)、例えばアルファベット「A」。
- その「A」はこの「A」と同じであることを直感で知っている。
- 「B」と書けば、それは「A」ではない。
なぜ同じであるといえるか。なぜ違うといえるか。
「人間」は同じである。「人間」は「人間」である。
抽象としての人間。記号としての人間(イデア)。
実体は同じではないということも了解している。
それは、自分と他人が違う具体であることを直感で知っている...
同様に、異なる他人同士も互いに同じではないことを知る。
どこに同一性をみて、どこに異なるものを見るか。
形。材質。言葉。占有空間。意識。独立性。空気。性質。メソ...
** 曖昧さ [#cb3d6b25]
何かを感覚することは絶対的なことではない。
人はおよそモダリティによる表現をとる。
命題を言い切らず、自分の感覚ではこうである、
おそらく他人も同じようであるだろう、という予測を立てて、
その同意をとろうとする。
感覚は事実として絶対的なものといっても良い。
それを外向きに表現する際に、
その記号化されたものが正しい表記であるかどうかについて不...
** 外界と内界 [#q971c001]
どこまでが内でどこからが外か。
その境界の定義がそもそも曖昧。
自他の区分けの明確な境界線は定義できるかどうか。
全て自であり、同時に他であるという同一性の持込み。
- 拒否反応による区分け。
- 免疫的自己。
- 意思の到達範囲としての自己。
自分の手は自分の意思で動くが、自分でない目の前のグラスは...
もし動くなら、それも自分か。
** 時空における理解 [#i1471227]
何かが存在するということは、
その「何か」は、時間と空間を占有するということ(現時点の...
同じ時間と空間を同時に占有することはできない(排他原理)。
この理屈は、4次元における感覚として直感可能だが、
さらに高次の座標系を想定した場合にどうだろうか。
量子論における不確定性の中では、
同じ時空を異なる素粒子が同時に占有する可能性を許している...
波束の収縮によって排他原理がきいてくる。
** 心の場所 [#y75868f9]
かつて「心」は「胸」の中にあるといわれていたが、
科学の発達によって、その所在は「脳」つまり頭の中、
というのが一般的になっている。
ところで、昔の人は、なぜ心が「胸」にあると思ったのか。
ものを思考する臓器として「脳」がある。
ということは、その主観が感覚するということは、
「脳」がそう認識しているということになる。
眼で見る。耳で聞く。手で触る。
これらの感覚は、眼耳手で感じているのではなく、
その信号を脳がとらえて理解しているのだと。
ないはずの四肢の感覚が残る「幻肢」は、
脳が経験や記憶による感覚を事実であると誤解することによる...
感覚は脳が担っているのは確からしい。
しかし、精神や心の所在も同様かという疑問は、
いまだに完全解明に至らない。
** 同根から違うものが派生するということ [#a1150843]
初期の条件が同じで、過程も同じであれば、結果も同じである。
(ラプラスの悪魔)
これは正しいか。
実際の現象にはカオス的側面があり、
わずかな擾乱によってその結果は大きく異なってくることもあ...
ただし、「似ている」という状態に至ることは大いにある。
完全に同等の初期条件と過程を考えた場合、
結果も完全に同じであろうというのが決定論的立場。
** 動機の根拠 [#c49ff49f]
何かを発動する、起動する、動作するその目的因、
それが同じである場合でも、
実際の動作方法は異なることがある。
つまり、目的に至る方法が複数存在する場合、
そのいずれが選択されるかは任意である。
ただし、自然の傾向としては、
最も合理的、もっとも省エネルギー的な方法が選択されやすい。
ただし、選択者(行為者)がその選択肢を知っている必要があ...
行為者自身が知っている限りの中で最も合理的なものが選択さ...
ということになる。
選択肢を知っているかどうか。
事前に何らかの学習をすることで選択肢を増やすか。
直感によって選択肢を発見するか。
他者によってその選択肢が示されるか。
(その他者にも同様のことがいえる)
うち、直感でそれを発見する、つまり、
アプリオリに知っている選択肢というのは、
最も自然的ではないか。
そしてその選択肢は、個々により異なる(個性があるという本...
** 世界の連続性 [#i26913c1]
私の意識がなくなれば、私における世界はなくなる。
私にとっての世界は、私が認識する限りの世界全体であり、
それ以上ではない。
私の認識していないところにも世界(の部分)はあり、
それは私ではない認識によって理解されている。
ところで、何者にも認識されていない領域は、
存在していないのだろうか。
つまり、認識されて初めて世界は表象するのか。
普遍的に存在する世界であるならば、
それは認識には関係なく永遠にそこに存在し続ける。
(有史以来の宇宙に関する限りであるが)
では、宇宙の始まる前におけるナニガシかは、
どのように定義すべきだろうか。
当然、それを認識する主観は存在しない。
世界は、実は認識によって開拓されているのではないか。
まずイデアのみがそこにある(プラトニックにいって)。
そこに認識が加えられることによって具象化する。
- イデア=クラス
- 具象化=インスタンス化
実行コードにおいて、
実際にそのコードを通るまで定義のみ存在している。
まさにそのコードを通ったときに実体化し、
世界として立ち現れる。
ゲーム世界の表示されていない部分を考える要領。
** チューリングテスト [#p5846eb8]
ある「知性」がそれを「理解」することをテストする。
その「知性」に対して質問し、その回答をみて、
それが知性であると誤解するレベルであれば、
それを「理解」しているといっても良い。
つまり、箱の中に「人」か「機械」が入っている。
その箱に対していくつか質問をする。
その回答をみて、その質問者が、
箱の中身は「人」である、と思うなら、
その箱の中身が「機械」であった場合に、
その機械は質問を「理解」しているといって良い。
理解しているかしていないかは、
その対象物の主観になってみないとわからない。
しかし、それは不可能である。
ゆえに、ここは「みなし」の理解、
擬似的な理解としてとらえるしかない。
私という主観からみれば、人でも機械でも同じ。
** 認識のノード [#s1f2be61]
世界は認識の集合であるという考え方によれば、
私(の認識)という点は、
認識ネットワークのノードの1つであるといえる。
ただし、この場合、
認識のネットワークが行き届いていない領域に関して、
どのように定義すべきかが解決できない。
ネットワークが延びることで世界が現れるか。
世界があるところにネットワークが延びるのか。
少なくとも、ノードが存在する領域に関する限りは、
そこに世界が存在している。
** ゼロの発想 [#a0df5987]
何もない、という思考自体があるので、真のゼロはない。
しかし、論理的なゼロ、概念としてのゼロは存在する。
無いのに存在が定義できる。
ならば、本当は「在る」のではないか。
可能性があるものは、何らかの形で存在するのではないか。
しかし、それにつけても「ゼロ」は、
「無い」という概念なのだから、
「無い」ということが「在る」というのは矛盾。
語句としての命題は真かもしれないが、
事実としては偽であることが許容されている。
そのような理解が存在し得る。
** 抽象と具象の隙間 [#l23d46ae]
何かを論じるとき、論じたれたそれと、実際のそれとは、
厳密な意味(ありよう)において同一ではない。
定義=実在 ではない。
実在は定義を満たすが、定義は実在を完全に表現していない。
関係としては、抽象<具象。
具象はいくつかの(複数の)抽象を規定に持つ。
それらが感覚に上る実体となったときに認識される。
「心」は抽象で、「私の心」は具象。
つまり「私の心」には、
一般的な「心」という抽象以外の属性も含む。
** 時間経過の感覚 [#i2d73882]
「時間が流れる」という感覚を持つが、
それは"感覚的には"主観的なもの。
時間そのものはは実は止まっているのかもしれない(即ち、時...
感覚がある便宜上、時間の経過というものを想定する必要があ...
何かを感じるには、それにかかる時間が付随する。
ものが一定距離を移動するという物理現象を考えたとき、
その起点から終点までの移動過程が必ずある。
これにかかる間隔を理解する上で「時間」という考え方を使う。
絶対的な時間とうものはそもそもないが、
物理座標系として線引きされる時間軸というものはあって、
その意味でいう時間は定性的なものである。
座標上では空間軸と同様の扱いを受けるが、
感覚においては別種のものと捉えられる。
いわゆる空間軸では、ある程度その移動方向が自由である。
しかし時間軸においては、移動方向が一方向である。
(過去から現在、現在から未来。その逆は無い。)
数理上は時間軸の移動も想定可能であるが、
それはあくまで理論上のもの。
感覚的な時間の流れと、この理論的な時間とは、
果たして同種のものであるかという疑問。
** 言葉ではない表現 [#xeebbe62]
- 例えば、音。
- 例えば、光。
- 例えば、触感。
- 例えば、香り。
- 例えば、味覚。
- 例えば、音楽。
- 例えば、絵画。
- 例えば、演劇。
- 例えば、表情。
- 例えば、風景。
** 現実の証 [#c93af9f3]
私たちが現実だと思っている世界。
これが現実だ、と思っているのはなぜか。
どこにその証があるのか(映画『マトリックス』の世界)。
現実も仮想も、どちらも結局私という認識(主観)の中におけ...
現象世界の感覚と理解に過ぎない。
夢を見ているときの認識と、
現実(と思っている)世界を見ているときの認識の違いは何か。
いずれかの世界に身を置いているとき、
互いに相対の世界を仮想と思ってはいないか。
明晰夢においては、それが「夢」であると認識される。
つまり、背後に夢より次元の高い固定された現実の世界がある...
実は、この現実世界よりもさらに現実(超現実)の世界があっ...
この現実世界において明晰夢状態になれば、
その超現実を認識するに至るのではないかという疑い。
さらに実は、昨日と今日は連続しておらず、
一度睡眠によって意識が低レベルに落ちたら、
別の次元の現実へ遷移しているのではないか。
眼が覚めたら、以前の記憶がすっかり新たな現実に最適化され、
さも昨日から連続していたかのように錯覚して生活している。
(…というSFを想定する余地)
とにかく、現実が絶対的世界であることへの疑念があるという...
** 論理空間 [#u815c426]
人類の文明の発達が急加速したのは、
「言葉」の発明とほぼ時を同じくしているという。
つまり、明確な記号化された意味を表す言葉を使用することで、
人類は知識を発見し、保存し、継承することができるようにな...
それによって、人類の知的レベルは飛躍的に上がった。
しかし、このことは同時に、
言葉による表現以上のものを獲得できる可能性も示唆している。
人類(原人)が言葉を使用する以前は、
身振り手振り、鳴き声などで意思疎通をしていたと考えられて...
そこから、言葉という道具を得ただけで、
格段にレベルの違う知性を得られたことに注目する。
ならば、言葉よりもさらに高効率の意思疎通方法があるなら、
それによってさらなる知識発達がありえるのではないか。
人類の知識は「言葉の檻」に制限されている。
** 脳の感覚の有限性 [#c833522b]
言葉にならない感覚も脳は持つことができる。
しかし、世界全てを感覚することはできないだろう。
単純に、言葉にならないものを表現できないだけでなく、
脳が感覚として許容できる事象にも限界があるのではないか。
なにがしかの事象が目の前で起こったとしても、
それを脳が把握できるものでなかった場合は認識できない。
相互作用の強弱、有無の問題もあるが、
解釈や認識が可能かどうかの問題に関する問題提起。
** 必要性 [#qc603785]
脳が何かを感覚するのは、
生物として生存していくために必要な情報のみではないか、
という合理的理解。
それに必要の無い情報はそもそも切り捨てられている。
つまり、感覚されているモノゴトというのは、
全て「必要である」ものだということもできる(この観点から...
** 器官としての脳 [#c3160518]
脳という部分の役割は考える、感覚する、とされるが、
それが脳に所在するということを明確にいうことはできるのか。
反応が活発なのは脳のニューロン発火現象などで明らかだが、
その際にも心臓の鼓動は早くなり、呼吸も忙しくなったり、
つまりモジュール化して考えることの妥当性は、
どこかで決着されているのかどうか、という問題提起。
** 自由意志 [#daea80b3]
すべて初期条件によってその後の成り行きは決定されているの...
それは自由意志にはならないのではないか。
つまり、自由だと思っているそれは、
かつての初期条件とその動向を決定する法則があることを、
行為者が忘れている、あるいは知らない為に、
自由だと勘違いをしているのである。
このような行動をしているのも自由意志ではなく、
全て最初からシナリオにあった事柄。
** 運命 [#j0f9526a]
この病気が治る運命なら、医者にかからずとも治る。
この病気が治らない運命なら、医者にかかっても治らない。
後者の実現可能性は高いが、前者は無理目な感じがする。
「治る運命」には、医者にかかるということまで含まれた運命...
** 光の特殊性 [#raff3720]
光、光子、光量子は物理学の世界では特殊な扱いを受ける。
質量 0。光の速度を超えることはできない(相対性理論)。
しかし、光というのは、
いわば人が勝手にそう定義したものではないか。
** 「今」への疑念 [#u0c438bc]
「今」感覚していると思っているそれは「今」のものなのか。
「今」の定義としては、感覚された瞬間そのときをいうという...
感覚された瞬間が、過去でもなく未来でもない保証はあるか。
厳密に言えば、わずかに過去の事象となる、
という回答が一般的。
** マッハの原理 [#a20c5c47]
物体の慣性力は、全宇宙に存在する他の物質との相互作用によ...
時空において、あらゆる物理現象は、
そこに存在する物質の量と分布の仕方によって決まるものだと...
*** [[茂木健一郎:http://www.qualia-manifesto.com/index.j....
認識において、あるニューロンの発火が果たす役割は、
そのニューロンと同じ瞬間に発火している他の全てのニューロ...
またそれによってのみ決定される。
氏はこれを「認識におけるマッハの原理」と呼ぶ。
** サブリミナル効果 [#j8f5324a]
時間の命題を考える際、
そこに流れ自体(文脈自体)にほとんど関係のない、
不連続な事象を1コマ(あるいは数コマ)はさんだ場合、
それはほとんど意識には上らないにも関わらず、
実は感覚(認識)しているという状態がある。
それは記憶には残りにくいので、
時間の流れからはずれたものと考えるべきものであるが、
それは即ち、時間の流れからはずれたものは、
記憶に残らないという逆提案であるとも考えられる。
** ファクシミリ論争 [#f4e04a40]
その物体に関するあらゆる全ての情報を、
ある地点から別の地点に完全に転送できるとする。
地点Aにある物体aの情報を地点Bに転送し、
その情報のとおりに物体bとして再構成した場合、
物体aと物体bは同一であるといえるか。
注意すべきは、
物体aを構成していた物質が転送されたのではなく、
物体aの情報が転送され地点Bにおける物質を材料として、
物体bがつくられるという点。
物体aに意識なるものがあった場合、
物体bにも同一の意識が現れるのだろうか。
はやい話、物体aが人間だった場合、
物体aと物体bは同一人物といえるだろうか。
すこし問題を変えて、
転送されるのが物体aを構成していた材料そのもので、
その材料で物体bとして再構成された場合、
事態は変わるだろうか(物体としては同じ)。
** 同時性 [#g0bdbafc]
出来事とそれを感覚するのが同時である、
と暗黙に前提される。
しかし、実際はそうではなく、出来事が光や音やその他何らか...
人の目や耳や手足などの感覚器に情報が伝達するまでに時間が...
さらに感覚器から脳へその信号が到達するまでにまた時間がか...
さらに脳でその信号が情報として処理されるのに時間がかかる、
であるので、出来事は必ず感覚より過去のものであることにな...
しかし、脳で処理されアウトプットされた情報しか
人は認識しないので、それら全てを同時と感覚する。
** 次世代言語 [#c805a092]
世界を言い表すことのできる言語の開発。
+ 自然言語
+ 数学言語(代数学、幾何学)
+ ???
ひとつの提案としての「プログラミング言語」。
プログラミング言語というのは、
まさにモノゴトの動作をロジカルに記述するためのものである。
プログラミング言語は、コンピュータ上においてあらゆる表現...
テキスト、音声、画像など、現実世界に実在するあらゆるもの...
コンピュータ内の論理空間において再現できる。
その言語によって、現象が完全に再現できるならば、
その言語は現象を論じ得た(記述できた)、といえるのではな...
目の前に在るリンゴの存在について、
自然言語で切々と語ってもその全ては伝えきることができない...
そのような3D映像などで描画し完全に再現するプログラムを書...
そのプログラムはリンゴを記述できた、といえないだろうか。
自然言語、数学で表現できない統括的な表現形式としてのプロ...
現存するプログラミング言語はまだ原始的だが、
言語は様々な形を取りながら進化を続けている。
今最も進化が速い言語はプログラミング言語であるといえるの...
(フラットな構文から、オブジェクト指向、アスペクト指向と...
今後さらに開発される言語が期待される。
** 夢 [#fcfb927d]
「夢」をみているときの人の認識は、
完全にその夢の世界の中にいる場合と、
それが夢である(現実ではない)と認識している場合がある。
前者の場合、現実は切り離されているのか。
後者の場合、現実ではないと感じながら夢の世界を「見下ろし...
しかし、あくまで当事者は自分であり、
自分が活動している世界を客観的に同じ自分の視点がら見ている
という奇妙な状態である。
** バーチャル世界 [#te67b7ab]
コンピュータという道具を得た人間は、
コンピュータの中に自分たちのいる「現実世界」に似せた、
いわば「仮想世界」を作り出そうとしている。
人間の主観が、
仮想世界をコントロールする「神」を演じるものになる。
そのような視点を得ることで、
現実世界の上位から観察する方法も得られる可能性があったが、
結局、人は、仮想世界の「神」ではなく「住人」になりつつあ...
最初から客観は幻想であったということか。
** 既成理論は誤っているのか [#g11144c3]
既成の理論が誤っているから、一向に世界の真実に近づくこと...
否。
誤ってはいないが、非常に遠回りしているだけである。
人が発見したりそれについて論述し、
ある程度の整合性、妥当性、再現性が示されるならば、
その論は誤ってはいない。
確かにその事象について正しく語っている。
しかし、それがすぐその他の難問を解く方法論になりえるかと...
そうではないことが多々である。
物体の落下について、ニュートン力学で語ることができる。
天体の運動について、相対性理論で語ることができる。
素粒子の振る舞いについて、量子力学で語ることができる。
いずれも間違っていない。
天動説も、地球を静止点とみなすなら間違いではない。
ただ、それで天体の運動を説明しようとしたときに、
非常に複雑なロジックが必要になるということで、
地動説ならば、よりシンプルに同じことを説明できるというだ...
(オッカムレーザー)。
** ニューラルネットワーク [#g1beaca0]
これは脳内だけの話ではなく、
宇宙全体の《ネットワーク》としてもともと存在する。
つまり、そのような相互作用、相互関係で、
事象は互いに存在を維持しているのであり、
存在するということは、
《ネットワーク》がつながっているということの証である。
ここはむしろ《ネットワーク》ではなく、ある広がりを持つ空...
《スフィア》という言葉を充てる。
線状の結びつきではなく、空間的な(もっと多次元な)接触を...
→ ''ニューラルスフィア''
さらに、ニューロン(神経細胞)というのは、
それを感覚、知覚する経絡に限定的であるので、
そのようなものを包括する生命、《ライフ》という言葉を当て...
→ ''ライフスフィア''
生命は、それ自身を自己言及しても成立するもので、
構造的にフラクタルなものであり、
宇宙から素粒子以下の原初に至るまでの全ての過程と様相全て...
(オートポイエーシス)。
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[[自然科学・哲学系メモ]]
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