そしてライフスフィアへ

現象のある部分をサンプリングし、それを観察することで法則を得ようとするのが、現在の科学の手法です。これは、宇宙のいかなる場所においても同様の法則が成立する、という前提の下で採用されています。しかし、こうした局所的な理論で全体を上手く見渡せないことは、当の科学者たちも熟知しています。それらの局所的な理論をなんとかつなぎ合わせて一つのものにしようとしている。これは、いわば科学者の夢です。

この“ライフスフィア”は、“生命宇宙論”の概念に基づいて創り出された仮想宇宙です。現在の科学が局所的な考え方であるのに対し、“生命宇宙論”は、いわゆる大局的な観点からの考え方です。宇宙全体として、一体どのような振る舞いをしているのか?そちらを考察することが主流となります。

“生命宇宙論”が目指しているのは、例えば、既存の物理学で生物の振る舞いを考える、という思考からの脱却です。物質の運動など力学を中心に扱う従来の物理学は、物体の運動や、全ての根本要素である素粒子の振る舞いをよく説明します。しかし、その素粒子の法則をもって、生物が実際にどのように振る舞うか(特に人間などの知能を持った生物がどう振る舞うか)を予測することは、おそらく無理です。“無理”という言葉は、とても複雑で解析には困難を極めるが不可能ではない、という意味合いでも使用されることがありますが、ここでいう“無理”とは、本当に解析は不可能、という意味での“無理”ということです。つまり、生命宇宙論は、陽子や中性子、電子、その他の粒子の振る舞いが、仮に一つの法則で完全に説明可能になったとしても、それを持って、生物の行動は予言はできない、という立場を採っています。

この立場は、“複雑系”という分野の考え方に似ています。“複雑系”というのは、全体を構成する単位の一つ一つの性質が、全体の流れによってダイナミックに変わってくるとして事象を捉えようとする考え方です。例えば、北京で蝶々が羽ばたくという事象があったとして、その空気のゆらぎはその時点のみで語られるものでなく、後の大気全体の様子にも影響を与え、一ヶ月後にはフロリダでハリケーンを引き起こしているかもしれない、ということです。蝶々の羽ばたき運動とハリケーンを個々に見るのではなく、これらの事象全体を見て、その法則性なり一貫性を見ようというのが“複雑系”の考え方です。

物理学のそれぞれの理論が、部分から全体を眺めようとするボトムアップ的な考え方であるのに対し、“複雑系”の科学は、まず全体をシステムとして把握し理解していく、いわゆるトップダウン的な考え方といえます。“生命宇宙論”は、これら二つの性質を併せ持つような考え方にしてみたいわけです。

宇宙を理解しようとするなら、まずその全体の在りようを把握しないと、結局部分的な理論だけが散在する形に終わらないか、ということが懸念されます。もちろん、それらの規則や法則は、同じこの宇宙に存在しているものである以上、どこか低レベルなところで繋がっているものであることは確かでしょう。だから、物理学の局所解析という手法は間違いではありません。ただ、“宇宙”という大きなものを私たち人間が理解しようとする場合、その全てが人知によって理解可能、とはいかないでしょう。知りうる範囲で、全体を筋を通して理解する、というのもまた間違いではないはずなのです。