導入

“生命” とは、この宇宙で唯一普遍の真理である

‥‥そう定義される仮説が “生命宇宙論”です。この論を展開する前に、まず断っておきます。この“生命宇宙論”は、決して特定の宗教的志向に依存するものではなく、むしろ、多くの宗教の中で定義されている「神」と呼ばれる存在を否定するものです。そして、今ある“科学的宇宙論”とされている理論とも、その性質を異にします。この仮説には、根拠となる証拠などありません(その意味では“哲学”的な内容といえるかも知れない)。それを理解された上で、この続きを読み進めていってもらいたいと考えています。

この仮説を語る上でのキーワードは “システム”です。

“生命”とは、一般に、自己保存と繁殖の能力を持つもの、とされており、それは主に有機体である、という考え方が一般化しています(生物学的には、生命が有機体でなければならない、という定義はないようですが)。“生命宇宙”とは、つまりその生命そのものです。生命という概念において一般化してしまっている“有機体”という枠は、まず取り去ってもらいたいのです。“生命”の限定枠は、そもそもないものとするわけですね。そして、“生命”は、全てを包括する無限定なものとして位置づけたいのです。物質、物体のみがその対象となるのではなく、空間、現象、性質、方向性、つまり、それらの情報全てが関連付いて意味を持ち、そうあろうとするもの、即ち“システム” が “生命” なのです。

例えば、人間個々は “生命”として考える。が、人間という種全体でみても“生命”。それを含めた生命体全てを見ても“生命”、それを取り巻く環境も含めて “生命”、突き詰めれば、宇宙そのものは一個の“生命”として見られる。そして、さらにその存在する意味、理由もまた“生命” によって関連づけられるということです。

つまり、“生命” とは、情報全体を関連づける“システム” なのです。

例えば、あなたが、そうして端末に向かってネットサーフを楽しんでいる。その情報を発信している私という存在がある。そのようなつながりができたこと、今このようなことが起こっていること、それら全て、確かにこの宇宙の中での現象であるわけです。これらは、結局“生命”というシステムによってあるべき一現象として捉えます。これも宇宙全体で見れば、何らかの意味を持つ現象ではないか、と考える。“もの”や “現象”というのは、生命現象の結果として存在しているのであり、その結果をもたらした原因と分離して把握するのではなく、それら全て(根源、理由、方向性など)を関連させて把握するのです‥‥。

“生命宇宙論”の主幹は、宇宙全体が一つのシステムとして機能している、という理屈です。