宇宙とは

一体、私たちはどこにいるのでしょう?そして、そこはどういうところなのでしょう?つまり、宇宙とは何なのでしょう?

中国古典では、“宇”とは空間全体、“宙”とは時間全体を指す、とされています。英語には“Universe”という言葉がありますが、これも、この時空全体を表す意味で使われています。私たちのとりまき全体は、一体どうなっているのか?そして、どのような規則に従って動いているのか?なぜ、それはあるのか?これは、人類の歴史が始まって以来これまでずっと問われ続けている問題です。最も根本的で基本的な問いですが、これについてまだ人類は答えを導き出すことができていません。

人は長年、あらゆる観点からこれを考え、それに関するさまざまな解釈や説明を付けています。それが “宇宙論”です。宇宙論は、つい最近まで自然科学の範疇ではなく、むしろ哲学や宗教(思想)などの分野でした。宇宙は、実際には人の眼で見ることができないものが多く、それは空想の域を出なかったのです。ところが、19世紀から20世紀にかけて、宇宙の観測技術が進歩し、数学的な解析手法も飛躍的に進歩しました。これによって、自然科学は、宇宙論の領域へ手を伸ばし始めたのです。

かつて、宇宙は、永遠に今のような状態を保っているのだ、と考えられていました。局所的な自転や公転はあるものの、基本的には星も銀河も恒常的に今見えている位置にあり、そういう法則の下に存在している‥‥このような宇宙論を “定常宇宙論” と呼んでいます。20世紀に入るまで、このことは至極当然とされていました。

ところが1929年、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブルによって、遠方の銀河が地球からの距離に比例した速度で一様に後退していることが発見されます。これを機に、宇宙は、実は静的なものではなく、もっとダイナミックに動いているのではないか、ということが指摘されはじめました。ハッブルの発見以前にも、アインシュタインの相対論による動的な宇宙の構想はありました。

相対論の発案者である当のアインシュタインは“宇宙は静的である”と考えていた為、自らの理論によって膨張する宇宙に合点がいかなかったようです。そして、アインシュタインはもともとの相対論の方程式に “宇宙項” という、宇宙を膨張させないための要素を付け加えました。しかし、ド・ジッターによって、宇宙項によって宇宙が急激に膨張する可能性があることが指摘され、また、フリードマンは、宇宙項がない場合でも、急激な膨張が重力で抑えられることを示しました。つまり、理論的な観点からも、宇宙の膨張は予想されたことだったのです。

今膨張している、ということは、宇宙はかつて一点に集中して存在していた、と考えられます。そうなると、当然その宇宙は、かなりの高温、高密度になり、熱量も相当なものになるはずです。そのような状態を “火の玉宇宙” などと呼びます。つまり、そのような火の玉が宇宙の起源であり、そこから爆発的に膨張することで今の宇宙に至っている、という考え方が、ロシアの物理学者であり思想家であったジョージ・ガモフによって提唱されました。これが “ビッグバン” という考え方です。このビッグバン仮説は、観測結果にもよく適合する上、理論物理学の理屈にも沿っている部分が多いので、当初のものから若干の修正はあるものの、基本的な考え方は、現在広く世間に認められています。

しかし宇宙は、まだ現在の科学の言葉では語れない様々な不確定、不確実要素を孕んでいます。科学は現象を局所的な観点で説明はしますが、全体を説明することを不得手としています。例えば、物理学で説明できるものが、生物学でも同じ方法で説明できるかといえば、必ずしもそうはなっていません。物理学の中においても、マクロな事象とミクロな事象を説明する理論は、今のところ異なるものになっています。全体を説明する完全な理論、つまり、完全な宇宙論は、まだ人類の知る限りにおいて存在しないのです。