神は必要ない

古来から、人は、宇宙の起源、そして存在理由も知りたい、と願ってきました。それを定義する一番手っ取り早い方法は、最初に誰かが創ったと考えること。つまり、まず “神” ありき、という発想です。これは、いわゆる宗教的な宇宙観。全知全能、永遠不滅の“神” がいて、その御意志でこの世が創られた…。実に単純明解ですね。

しかし、その “神” は何故存在するのか?何故この世を創ったのか?と、“神” そのものを問うと、“神” とはそういうもの、と、人が勝手に決めてしまうことができるわけです。特に、人のような考え方を持つ “人格神” は、人間の都合によって如何様にもその意志を変えることができます。結局、神の意志、とは、それを創り出した人の意志の象徴ということができます。

“生命宇宙論” では、宇宙は “創られたもの” とは考えません。宇宙は “生命” です。生命は、自ら発生する性質を持っている。そして自発的に進化を重ね、システムとしての形態を構築していく。つまり、もともと自己組織化※1する性質を持つもの同士が、互いに相互作用することで成り立ってきたもの、そうして生まれたものです。“生命” が根本にある限り、誰が手を加えずとも、その “誰”(例えば “神”)がいなくとも、宇宙はそのように存在して然るべきもの、と考えることができます。

つまり、宇宙は “創られたもの”(受動的) ではなく “生まれたもの”(能動的) なのです。

我々が、宇宙に見ている物質や意味は、全て “生命” の目的から派生した “部品” である、ということができます。これは、我々人間に至ってもそう、特別だと思われがちな意識や知性もそうです。この場合、そこに意味づけられる “神” という概念も、宇宙の中に於ける存在が概念化したものとして、システムの目的に取り込むことができるでしょう。

ところで、その “神” が、この宇宙の根源として必要性を求められてきたものであれば、それが存在する意味は既にないことになります。この宇宙がこのようにある為に必要なこと、それは、ただ “生きる” のみ。それが生きることで、相互作用が生まれ、自然発生的にシステムが構成され、オートマチックで一つの宇宙が構築されていく。そこに発生する連鎖反応は必然ではありません。流動的に一意に決まらないシステムが構築されることになります。これは、地球上生物の歴史にモデル化されているような “進化” が、宇宙全体に於いても発現している、と見ることができるでしょう。

個々の存在には、お互いが相互作用すること、関連付くこと、そうした方向性があります。物質は相互作用し、情報は互いにリンクし共有されていく。個々の存在の将来は決定的ではありませんが、少なくとも、宇宙が “生きる” ことによって、生命というシステムは、さらに進化していくことになるでしょう。

さて、導入はここまでです。次の章から、順を追って今ある宇宙論から生命宇宙論へアプローチしていくことにします。

 

※1 自己組織化 : 外部からの介入を受けず自ら一つの組織(構造)を形成していくこと。

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