突き詰めれば存在

生命宇宙論は、全ての存在にあって特別なものはない、という思想から発起している論でもあります。個々は、それが存在することのみが真理であって、それ以上に何かを求めません。原理は至って単純、それは“存在する”です。そして、我々がそこに見ている意味は、存在に起因する“システム” の様子である、と考えるのです。

例えば、いわゆる “CDコンポ”(この喩えはもう古いですが)なるものがあります。コンポとは“コンポーネントシステム” の略ですが、“コンポーネント”というのは“部品” のこと、それらが寄り集まって一つの“システム” が完成しています。CDプレーヤの他に、カセットテープのデッキ、チューナー、音を増幅するアンプ、実際に音を出すスピーカーなどから構成されています。このシステムの目的は、端的に“音を出す”ことです。たったそれだけを実現するために、これだけの部品が集められているのです。ここで、一つ一つの部品は、単独では、全く別の意味を持つものであるか、もしくは一定の意味を成すことができないものばかりです。これらが集まり、互いに作用し合うことで、“音を出す”という一つの目的を達成しているのです。そう考えると、“コンポ” は“音を出す”という目的の為のシステムである、ということができそうです。

生命の考え方も同様です。つまり、“生命” は “存在”という目的の為のシステムなのです。ところで、“生命”は、どうやってできたシステムなのでしょう?生命宇宙の考え方では、“生命”は創られたものとは解釈しません。誰が創らずとも、それは“存在する”という宇宙の本質によって自然発生的に現れた性質、いわば“生まれたもの” と考えるのです。

考えにくければ、先の例のように、まず、人の手によって“創られた” システムを考えてみます。

テレビでもラジオでも良いです。それらは、初期、本当に、“絵を映す”とか “音を出す”のみの機能であったはずです。それらが、別の部品を組み込むことで、“録画する”とか “ディジタル音声を再生する”などの高機能化を遂げています。これは、システムの進化と呼べると思います。そもそも、テレビ内の部品を見ても、抵抗器、トランジスタ(真空管)、ブラウン管(液晶画面)、アンテナ、受像器と、それら個々は、全く別の機能を持つものですが、これらが一つになることで、テレビ、あるいはラジオというシステムが完成します。

では、それを創り出した人間自身はどうでしょうか?いうまでもなく、人間は生物です。生物の目的は、突き詰めれば“生きる”ことです。その目的を達成するために、生物は様々な形態に多様化しています。その一形態が“人間”という形です。生物は、おのおのの形態で生きる手段を模索している。その結果の一つとして、人間は道具を作り、それを使うという能力を獲得しました。テレビであるとかラジオなどは、人間の生きるという目的から派生して生み出されたものですね。

さらに、生物はどうでしょうか?生物は、炭素の化合物であるタンパク質(アミノ酸)や水分によって構成されています。タンパク質自身は、ある刺激によってエネルギーを消費し、一定の効果を生む(その効果は、タンパク質の種類によって様々)という性質を持っています。これらが寄り集まって、“生物”というシステムを構成しています。そして、“生物”は、さらに根源に近い何かの目的によって派生したもの、と考えることができます。

どんどん突き詰めていくと、原子、素粒子、さらに根源となるものへ突き当たっていくでしょう。それらでさえ、何らかの目的を持った“システム” ではないか、と考えると、最終的に行き着く目的は“存在する”ことになりそうです。そして、それを達成するシステムが“生命” だと考えられないでしょうか。