近代自然観 †地動説が一般化して以降の世界観、自然観について。 天体の運動 †ティコ・ブラーエの天体観測により、水星と金星は太陽の周りを公転していることがおよそ突き止められていたが、その運動は計算とわずかに合致していなかった(不完全)。その弟子であるケプラーは、その円運動は完全な円(正円)ではなく楕円であれば計算とよく合うことを指摘した。 ケプラーの法則 1. 惑星の楕円運動の法則 2. 面積速度一定の法則 3. 公転周期の公式化 第1法則 : 楕円運動の法則 †一般に、単にケプラーの法則といった場合、この楕円運動の法則のことを指すことが多い。太陽の周囲を周回する惑星の公転軌道は正円ではなく、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道である(わずかに歪んでいる)とした。 第2法則 : 面積速度一定の法則 †太陽の周囲を公転する惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は一定である、というもの。つまり、惑星は、常に面積速度が一定になるような速度で公転円上を移動しているということ。 この図において、惑星が点0から点1まで移動する時間と、点1から点2まで移動する時間が等しい場合、面積Aと面積Bは等しい。 第3法則 : 公転周期の公式化 †惑星の公転周期の2乗は、軌道の半長径の3乗に比例する。これは次のように書ける。 T2 = ka3 T は公転周期、a は太陽から惑星までの平均距離(半長径)、k は定数。 地上の運動 †天文学者ガリレイ(1564-1642;イタリア)によって望遠鏡が製作される(1609)(ちなみに、望遠鏡が発明されたのは、前年の1608年)。この望遠鏡により、月、太陽、木星などを観測し、次々と著書を刊行する。
ガリレイは、まず木星の衛星を3つ発見、さらに後に1つ発見する(現在、ガリレオ衛星と呼ばれているもの)。また、太陽黒点をはじめて観測する。 ガリレイは、天文学に数学的自然観を取り入れる(数量化)。これは近代天文学の理論的基磁となる。従来の天文学(プトレマイオスの天文体系)を脱して、コペルニクスの自然観に端を発する近代科学へのベクトルを切り開く。 ガリレイは、天体に適用できる運動は、地上の運動にも同じく適用できるとして、その逆もまた真であると考えた。天上界でも月下界でも同一の法則が成り立つ、という、宇宙の一様性の概念がここにみられるようになる。この考え方を採用すれば、地上の事物の運動を数学的に研究することで、天体の運動に関しても実験的検証ができると考えられる。 自然と機械 †デカルトにより機械的自然学の概念が提唱され、自然を考察する上での数学の実用的役割が大きくなる。つまり、思想、哲学の域を出なかった従来の自然観を、近代的な論理的思考をベースとする科学論へと転換を始める。 自然を考察する場合、まず自明である物事を前提し(公理)、そこから演繹によって諸原理を導くという方法が一般化し始める。このことをデカルトは「世界論」(1633)の中で著すが、同著は未刊である。 機械的自然 †解剖学の発展から、生物と機械との類似性が見出される(有機物からなる機械)。生物は機械時計であるという形容がここに発する。 機械的自然 - 物質 : 広がり(延長)→ 流体、空間、幾何学 - 運動 自然現象は、基本的に物質の運動である、と説明される。運動の第1原因は神である、という神学的な考え方は依然残る。これは、全ての運動を同じく保存する、という秩序を保つ何らかの絶対的存在がまだ思想に必要だったことの表れ。 部分的運動については、次の自然の3法則に従う。
ニュートン力学 †万有引力の法則 †ニュートン(1642-1727;イングランド)は、リンゴが木から落ちるのを見て、月は落ちてこないのにリンゴが落ちてくる不合理を考えたという(創造的休暇)。このエピソードの真偽は定かでないが、これは力学の基本的着想となる。 リンゴと月に働いている引力 = 共に中心に向かう力 ニュートンはこれを数量的に求め、自著「自然哲学と数学的諸原理(プリンキピア)」(1686)の中で、引力は距離の2乗に反比例するということを等式を示した。 F = G ( m1 * m2 ) / r2 (m1,m2 : 質量, r : 距離, G : 定数) これが、万有引力の法則である。ガリレイの落下運動の法則やデカルトの円運動の理論にも、この万有引力の法則が適合した。 プリンキピアでは、機械学に沿って、理論的機械学と実用的機械学が説かれており、それらをまとめて「力学」と称している。 運動の法則 †プリンキピアの中には、もうひとつ重要な法則が説かれている。
作用、反作用の法則とは、2つの物体が互いに及ぼしあう(与え合う)力の大きさの和は等しいとしたもの。物体Aが物体Bに衝突する場合、AがBに与える力をFA、BがAに与える力をFBとすると、FA = -FB となる。 |